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東京高等裁判所 昭和40年(う)553号 判決

被告人 鴨下清

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役一〇月に処する。

原審における未決勾留日数のうち一五〇日を右の刑に算入する。

原審および当審における訴訟費用(ただし、原審証人長谷部康夫に支給した分を除く。)の二分の一を被告人の負担とする。

理由

(控訴趣意)

弁護人中村高一、同淵上貫之が連名で差し出した控訴趣意書に記載されたとおりであるから、これを引用する。

(控訴趣意に対する判断)

控訴趣意第二の一について

論旨は、刑事訴訟法第三一九条の「自白」の中には共犯者の自白も含まれるから、原判決が吉田政治および根本春彦の供述を採つて被告人の有罪認定の資料としたのは訴訟手続に法令の違反がある、というのである。

しかし、共犯者の供述は、それがその者にとつて自白たる性質を有する場合でも、他の共犯者にとつては刑事訴訟法第三一九条第二項にいう「自白」にあたらないと解すべきである(最高裁判所昭和二九年(あ)第一〇五六号、同三三年五日二八日大法廷判決、刑集一二巻八号一七一八頁参照)。のみならず、同条第二項は自白を有罪の証拠とすることを一切禁じているのではなく、ただ、それを唯一の証拠として有罪とすることを禁じているにすぎない。ところが、原判決はこの両名の供述ばかりでなく、補強証拠として十分な証拠をあわせて掲げているのであるから、この点からいつても原判決には所論のような違法はない。共犯者が自己の罪責を軽くしようとして他の共犯者に不利な虚偽の供述をすることは時としてみられるところで、その点はつねに注意しなければならない点であるが、それは要するに各証拠の証明力の判断の問題なのであつて、刑事訴訟法第三一九条第二項の問題ではないのである。それゆえ、論旨は理由がない。

同第二の二について

論旨は、原判決は任意性のない自白を証拠として採用しているから訴訟手続に法令の違反がある、というのである。

論旨が任意性のない自白だと言つているのがどれを指すのかはやや明瞭でないが、原審で任意性が争われているのは被告人の司法警察員に対する昭和三九年三月一三日付の供述だけであるから、これを指すものと解される(吉田・根本の司法警察員に対する各供述調書は原審で同意がなされているし、そのうえ原判決はこれを証拠として引用していない。また、検察官に対する各供述については論旨は言及していないから、これを指しているものとは思われない。)。しかしながら、所論にかんがみ一件記録をよく調査してこの点を検討してみても、この供述が任意性を欠くほどに策略・誘導・強制を用いて得られたものであるとの疑いは到底発見することができない。論旨は、被告人を取り調べた司法警察員が被告人に対し他の共犯者の述べてもいないことをすでに述べているように言つて誘導したと主張するけれども、他の共犯者が述べていないこと、たとえば「たかりに行こう」という趣旨の話が出たことなどを取調官がみずから創作して被告人を誘導するというのはこの場合不自然な話であり、原審証人二瓶賢之介の証言も、そのようなことを認めた趣旨のものとは解せられないのである。したがつて、この点の論旨も採用するわけにはいかない。

同第一について

論旨は、原判決が強盗致傷の事実を認定したのは事実を誤認したものだ、というのである。

そこで一件記録を調査すると、昭和三九年二月二五日午前一時過ぎころ被告人と吉田政治および根本春彦の三人が神奈川県川崎市小川町五九番地にある中華料理店「大鵬」の寮から連れ立つて出かけ、市内を歩いたり川崎ボーリングセンターヘ入つたりしたのち飲食店「海老屋」で三人で酒を飲んでから「大鵬」へ行つたこと、そして、同日午前三時半ごろそこで飲食していた客の原武男と山本明洋とが店を出ると、被告人ら三人はそのあとを追つて同市小川町四八番地附近の道路上(以下「第一現場」という)でこの二人に殴るなどの暴行を加え、さらに逃げる原を追つて同市南町七八番地附近の道路上(以下「第二現場」という)および同町一〇六番地附近の道路上(以下「第三現場」という)で同人に対し同じように殴る蹴るの暴行を加え、その結果右原武男に加療約六週間を要する左顔面打撲・左前胸部挫傷の傷害を負わせたこと、および右の最後の場所での暴行ののちその場を立ち去る際吉田が原武男の着ていたその所有の上衣一着を持つていたことは明らかに認められるところで、この範囲の事実に関するかぎり、被告人においても別に争いはない。ただ問題は、右の一連の暴行がなんの目的でなされたのか、また右の上衣がどのようにしてどういう趣旨で吉田の手に入つたのかにあるわけであるから、以下順を追つてこれを考えてみることとする。

(一)  まず被告人ら三名が「大鵬」の寮から出かけた目的についてであるが、吉田と根本とにたかりをしに行く目的があつたことはこの両名が終始認めているところで、疑いがないと思われる。これに対し、被告人は検察官の取調べ以来そのような目的のあつたことを否定し、他の二人にそのような目的のあつたことも全然知らなかつたと極力主張しているのであるけれども、原判決の挙示する証拠を総合すれば、吉田と根本がたかりに行くことを承知しながら被告人がこれと同行した疑いはきわめて強いといわなければならない。けだし、出かける前にこの二人は被告人のいるそばでその相談をしているのであるし、出かけてからも現にたかる相手を物色したりそのことについて話し合つたりしているのであるから、そばにいる被告人にそれがわからないはずはないと思われるし、司法警察員の取調べに対して三人のうち一番先にこのことを供述したのは被告人で、それが取調官の不当な誘導に基づくものと思われないことは前に述べたとおりであるから、そのことは被告人が少なくとも両名のそのような目的を知りながら同行したことを雄弁に物語つていると考えられるからである。そして、この判断は、当審における事実の取調べの結果によつても動揺させることはできなかつた。したがつて、この点についての論旨の主張は、採用することができない。ただ、このように被告人が両名のたかりの目的を知りながら同行したことが認められるにしても、そのたかりについて積極的であり主導的であつたのはあくまで根本・吉田なのであつて、被告人はいずれかといえば終始従たる立場でこれに同行していたにすぎないことは認めざるをえない。被告人が先に立つてたかりをやろうとしいう事実はすべての証拠を通してこれを発見することができないのである。このことは、のちにも述べるようたとに、一応注意を要する点であると思われる。

(二)  次に、被告人ら三名は「海老屋」で飲食したわけであるが、この時にも三名がなおたかりをやる意思を有していたかどうかは疑わしい。この三名は何度かたかりの相手を見つけるのに失敗したのちここに落ちついて三人でビールを七本ぐらい飲み、それからまつすぐに「大鵬」へ行つたというのであつて、この「海老屋」を出てからまた前のようにたかる相手を物色して歩いたような形跡はない。原審で吉田や根本が証人として述べているように、「海老屋」へ来てからはたかりのことはもう断念していたというのも、決して不自然な成り行きではないと考えられる。

(三)  ただ、このように見てくると、被告人ら三名が「大鵬」へ行つてからのち、そこの客の原・山本の両名が外に出るのを追つて行つて道路上で前記のような暴行を加えたのがなんのためであつたかということが問題となる。右に述べたようなそれまでの経緯からすれば、「海老屋」で飲食した時には一応たかりのことはやめる気持になつていたとしても、「大鵬」へ来てこの二人の客のいることを発見し、またたかりをやろうという気を起こして暴行を加えたということも決して考えられないことではない。ことに被害者である原の着ていた上衣を暴行後吉田が持つていたという事実は一層その疑いを強からしめるのである。

(イ)  これに対し被告人は、司法警察員に対する供述以来終始一貫して、「大鵬」にいる時原・山本のいずれかから「なんだこの野郎」とか「ばか野郎」とか言われたのでそれに憤慨して暴行を加えたのだと主張している。そして、吉田の司法警察員に対する供述では被告人から「あの野郎おれになんとか言つたからあいつらをやるんだ」と言われたというのであり、根本の司法警察員に対する供述では被告人が「あの二人連れの野郎、おれにばか野郎つて言つた」といい、同人の検察官に対する三月一九日付の供述と原審の証言では被告人が「頭に来た、やつちやおう」と言つたというのである(根本は、三月二三日の検察官に対する供述では、被告人が「大鵬」で被害者らと口論をしていたという趣旨の前回の供述を取り消しているのであるが、被告人が同人に言つた右のことばまで取り消したものとは解しがたい。)。もつとも、相手方である原・山本は原審でも当審でもそのようなことを被告人に言つた覚えはないと証言しており、それが少なくとも記憶どおりの供述であることは認めざるをえないのであるが、しかし証人原も「大鵬」で四、五人の者が大きな声で言い争いをしていたので自分のそばにいた者が「うるさい」とか「ばか野郎」とかいう意味のことを言つたということは述べており、証人山本もだれかが「この野郎」と言つたのは聞いたと証言しているのであるから、のちに被告人が暴行を加えるにあたつて「大鵬でこの野郎(あるいはばか野郎)と言つたな」と言つたことを思い合わせると、あるいはビールにある程度酔つていたと思われる被告人がこれを原もしくは山本の言つたものと聞き違えて腹を立てたのではないかということも考えられないではない。要するにこの点ははなはだ明瞭でないわけであるが、少なくとも被告人の言い分を一概に否定し去るわけにもいかないのである。

(ロ)  次に、本件暴行の態様をみると、まず被告人らは「大鵬」から約一五メートル離れた第一現場で山本・原を呼び止めるや被告人が「大鵬でこの野郎(あるいはばか野郎)と言つたな」と言うと同時にバンドで山本の目の上を殴り、同人はその場を逃げ出したが殴つた原に対しては手でその顔面を殴り、吉田・根本も加わつて同人を殴つたり蹴つたりし、原がその場から逃げるのを約五〇メートル離れた第二現場まで追つて行つてさらに殴る蹴るの暴行を加え、ふたたび逃げ出した原を約二〇〇メートル追つて行つて第三現場でまたも殴る蹴るの暴行を加えたというのである。この暴行については、次の諸点が注意されなければならない。第一に、その暴行はきわめて激しく、かつしつこいものであつたということ。これは被害者原の負傷の程度からも、また同人がこの暴行によつて一時気を失つたという事実からもこれを窺うことができるのであるが、もし被告人が山本・原から金品を奪取するのがその目的であつたのならば、被告人の側は三人なのであるし、あえて暴行を加えずともまず口でおどすことも考えられるし、かりに暴行を加えたうえで金品を要求するとしても、このように三箇所にわたつてしつこくかつ強烈な暴行を加えるまでの必要はなかつたように考えられるのであつて、このことは被告人にとつて原らに暴行を加えること自体がその目的であつたのではないかという疑いを抱かせるのである。のみならず、第二に、その間被告人らが一度も金品の要求を口にせず、もつぱら暴行に終始していることにも注意する必要がある。もしたかりが目的であるのならばその間なんらかの金品要求の態度を示しそうなものであるが、それが一つも示されていない。あるいはこの場合はもはやいわゆるたかりの域を脱して相手方を無抵抗にし金品を奪取する気になつたのかとも考えられるが、しかしこの場合そのような手段を用いなければ金品を奪取することができなかつたというような事情も証拠上見当らないのである。

(ハ)  次に、本件の暴行後被害者原の着ていた背広上衣一着を吉田が持つていた点について考えてみると、のちに述べるようにこの上衣は最初被告人が手にし、次いでそれが吉田の手に渡つたと認められるのであつて、このことは本件の暴行が金品奪取の目的でなされたのではないかと疑わせる一つの大きな理由になつているのである。しかし、のちに説明するとおり被告人がこの上衣を領得するつもりで原から取つたのかどうかははなはだ疑問の存するところで、むしろもしこの上衣を取るのが目的であつたならばもつと早い時期に脱がせるかはぎ取ることもできたであろうことを考え合わせると、この事実からして直ちに本件の暴行が金品奪取の目的のもとにその手段としてなされたと認定することも困難だといわざるをえない。

(ニ)  なお、この山本および原に対する暴行は、被告人が言い出したもので、その実行においても被告人が最も積極的であり主導的であつたことが明らかである。ところが、当初被告人ら三名がたかりに行くということで「大鵬」の寮を出たときには積極的だつたのは根本と吉田で、被告人はむしろ消極的な立場でこれに同行したと認められることは前に触れたとおりであつて、しかもこの計画は「海老屋」で飲食した際には一応取りやめになつた疑いが強いのに、もしこれが再燃して本件の行為となつたのならば、なぜ突如として被告人が先頭に立つてこれを行なうことになつたのか、その間の事情は全く不可解である。むしろ本件の行為について被告人がきわめて積極的・主導的であつたのは、この行為が当初のたかりを目的とした行動の延長ではなく、なにか別の動機に基づくものであることを思わせるのである。

かくして、以上のように考察してくると、被告人らの本件の暴行が財物を奪取する目的でなされたものであると断定するについては疑いが多く、この点は到底合理的な疑いを排除するまでに証明されたものということはできない。

(四)  しかし、最後に、原武男の着ていた背広上衣一着が本件の暴行後吉田政治の手に渡つていた事実についてなお検討してみる必要がある。けだし、前述のようにそれまでの暴行が金品奪取の目的でなされたものとは認め難いとしても、もし被告人らが反抗を抑圧された状態にある原からこの上衣を領得する意思で取つたのならば、それにによつて強盗罪もしくは窃盗罪の成立が考えられるからである。ところで、この上衣は、吉田の手に渡る前に被告人が一度手にしていることは争いがない。ただ、それがどのようにして被告人の手に入つたかについては、証人原武男は原審で「背広を引き脱がされた」と述べ、根本春彦も司法警察員に対しては「被告人がうしろから上衣をはぎ取つた」と述べているのであるが、被告人は警察以来一貫して「暴行中原の上衣のえりをつかんだら脱げてしまつた」と述べており、はたしてそのいずれが真相かは判断が困難である。しかし、根本の前記供述は、同人が検察官に対する供述以後は上衣の脱げるのを目撃していないと述べていることによりその信用性はあまり高いものとはいえず、原武男の証言も、脱がされたのか脱げたのかは微妙なところもある問題で、ひどく暴行を受けている際のことであるから、被告人がことさらに脱がしたのではないものを脱がされたと思うということも絶対にありえないとはいえず、当審で同証人を尋問した結果によつてもこの点について十分な確信を抱くに至らないのである。次に、この上衣が吉田の手に渡つた経緯について検討してみると、被告人は検察官に対する供述および公判廷の供述ではこの上衣を道路上に投げ捨てたと言つているのであるが、司法警察員に対しては根本か吉田に渡したと述べており、吉田は司法警察員に対しても原審公判廷でも被告人から「持つてろ」と言われて受け取つたと供述しているのであつて、この点については、被告人がその場に投げ捨てたものを吉田が拾つたのではなく、被告人が吉田に手渡した疑いははなはだ強いといわなければならない。としてみると、その上衣が被告人の手に入つたいきさつはともかくとして、遅くともこの時には被告人としてはそれを領得する意思のもとに吉田に手渡したのではないか、という疑いが生ずるのである。しかしながら、その後におけるこの上衣の処置について調べてみると、この暴行により被害者の原が一時失神して倒れたのち被告人ら三人はその場を逃げ出したのであるが、この上衣は吉田が逃げる途中他の二名の知らぬ間に材木置場の材木の間に隠しておき、二、三日後にこれを取つてきて被告人や根本にも話さずこれを自分の友人の長谷部康夫に与えてしまつた事実が認められる。そして、この上衣を隠してきたことについて吉田が事後直ちに被告人に報告したことは明瞭でなく、また吉田は原審で被告人から「その上衣を被害者に返すから取つてこい」と言われたので取りに行つたと述べているが、当審での供述ではその点が不明確になつており、また、もし被告人からそのように言われたため取つてきたものならこれを勝手に長谷部に渡してしまうというのも不自然な話である。いずれにしても、もし被告人がこの上衣を領得するつもりであつたのならば、事後においてもう少しそれについて関心を示しそうなものであるのに、証拠に現われたところではほとんどそれが認められないし、吉田が前記のように被告人や根本に無断でそれを処分してしまつたことも、その被告人の意図に疑いを抱かせるのである。被告人が第三現場で手にした上衣をそばにいた吉田に「持つてろ」と言つて渡したという事実も、暴行の最中のことではあり、文字どおりこれを一時持つていろという趣旨のものであつたと解せられないわけではなく(被告人の司法警察員に対する供述によると、被告人はその後も引き続き暴行を加えたことが認められる。)、これだけで直ちに被告人の領得の意思を推認するわけにはいかない。これを要するに、この上衣について被告人に領得の意思のあつたことは証拠上十分証明されたとはいえないのである。

以上の次第で、本件においては、被告人ら三名が暴行を加えるにあたつて金品奪取の目的を有していたこと、および前記上衣を領得の意思で取つたことについて、なお相当の疑いが残るといわざるをえないので、原判決はこの点に関し事実を誤認したというのほかなく、その誤認が判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、この点の論旨は理由がある。したがつて、その他の論旨につき判断するまでもなく刑事訴訟法第三九七条第一項、第三八二条によつて原判決を破棄し、同法第四〇〇条但書を適用して、被告事件につきさらに判決をすることとする。

(被告事件についての判決の理由)

一  罪となるべき事実

被告人は、昭和三九年二月二五日の午前三時三〇分ころ、神奈川県川崎市小川町一三番地にある中華料理店「大鵬」から出てきた原武男に暴行を加えることを吉田政治(当時一六歳)および根本春彦(当時一六歳)と共謀し、まず同町四八番地附近の道路上で、三名で石原武男の顔を手で殴つたり腹部を足蹴りにするなどの暴行を加え、すきを見て逃げ出した同人のあとを追つてさらに同市南町七八番地附近の道路上および同町一〇六番地附近の道路上で同じように殴る蹴るの暴行を加え、その結果同人に加療約六週間を必要とする左顔面打撲・右前胸部挫傷の傷害を負わせたものである。

二  証拠〈省略〉

三  法令の適用

被告人の判示所為は刑法第六〇条・第二〇四条・罰金等臨時措置法第三条第一項第一号に該当するので、所定刑のうち懲役を選択し、その刑期の範囲内で被告人を懲役一〇月に処し、刑法第二一条を適用して原審における未決勾留日数のうち一五〇日を右の刑に算入し、原審および当審における訴訟費用については刑事訴訟法第一八一条第一項本文により主文第四項に示すとおりその一部を被告人に負担させることとする。

(裁判官 新関勝芳 中野次雄 伊東正七郎)

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